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2025年10月9日
訪問診療で長く関わらせていただいた患者様が、103歳でご逝去されました。ご家族から「最後まで何でも美味しく食べられて感謝しています」とのお言葉をいただき、改めて訪問歯科診療の意義を深く感じました。ここに患者様との思い出を偲びながら、私自身の学びも綴らせていただきます。
初めてお会いしたのは、患者様が92歳の頃でした。顎関節の痛みを訴えて来院されたのがきっかけです。高齢であっても身なりを整え、礼儀正しく診療を受けられる姿は今でも忘れられません。その後は通院していただきながら口腔ケアを中心としたメンテナンスを続けていましたが、やがて通院が難しくなり、私たちがご自宅に訪問するようになりました。
訪問診療では、積極的な治療は限られています。大切なのは、安全に無理のない範囲で痛みを取り除き、お口を清潔に保ち、少しでも快適に過ごしていただけるようにすることです。M様の場合も、歯の痛みがあるときには応急的に対応し、改めて車いすで医院にご家族様と来ていただき奥歯の神経の治療をしたこともありました。その後は定期的に口腔ケアを行いました。
口腔ケアは単なる清掃ではなく、食べる喜びや会話のしやすさを守る大切な支えです。9年にわたる訪問診療の中で、その日常の一部をお手伝いできたことは、私にとってかけがえのない経験となりました。
患者様はいつも朗らかで、私たちスタッフにもやさしい笑顔を向けてくださいました。診療の後に「ありがとうね」とおっしゃる笑顔が今でも鮮明に思い出されます。その笑顔は、どんなに忙しい時も「この方のために頑張ろう」と思わせてくれる力を持っていました。
息子さんと奥様が寄り添い、献身的に介護を続けていらした姿も心に残っています。明るく声をかけ合いながら支えるご様子は、高齢の両親をサポートする娘としてお手本であり、また一人息子を持つ母である私にとって、ほほえましく、羨ましく思える光景でした。親子の絆、夫婦の協力、そして家族としての温かいやり取りは、高齢社会を迎える今の日本にとって理想の家族像だと感じました。
ご逝去の連絡をいただいた時、ついにその日が来たかという思いと同時に、103歳というご長寿を讃えたい気持ちで胸がいっぱいになりました。さらに、ご家族が医院にご夫婦でお越しくださり、「母からきちんと先生にお礼をするようにと言われていました」と伺ったとき、そのお心に深く打たれました。ご本人が最後まで礼節を大切にされ、ご家族にそう伝えていたことに、大正生まれの方らしい強さと美しさを感じました。息子さんからいただいた「最後まで美味しく食べられて感謝しています」という言葉は、医療者として何よりの喜びであり、訪問歯科診療の使命を改めて実感させてくださいました。
訪問診療で私たちにできることは限られています。それでも、痛みを和らげ、口腔を清潔に保つことは、患者様の安心やご家族の介護の支えにつながります。M様とのご縁を通じて、「医療は病気を治すだけでなく、人の生活と尊厳を守る営みである」と改めて実感しました。また、この9年の間には、医院のスタッフも何度か交代しました。それでも変わらずに信頼してくださり、診療を続けさせていただけたのは、ご本人とご家族のおかげです。スタッフもまた、M様の笑顔やご家族の温かさに励まされていたに違いありません。ずっとMさんの訪問診療を担当していた歯科衛生士のKさんは、ご病気で退職されましたが、元気になって先日医院に立ち寄ってくれたのですが、Mさんのことを気にかけていらっしゃいました。
振り返れば、M様は「痛みがない」「食べられる」「笑える」ことの大切さを私たちに教えてくださいました。ご家族が介護に注がれた深い愛情もまた、医療従事者としてだけでなく、一人の娘としてもまた母としても心に響きました。大正生まれのM様は、時代の変化を生き抜き、最後まで礼節を重んじ、ご家族に大切にされながら旅立たれました。その人生は豊かで幸せに満ちていたと心から思います。ご本人とご家族から多くを学ばせていただいたことに感謝し、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。そしてこれからも、患者様の笑顔を守り、ご家族と共に歩む医療を大切にしていきたいと考えています。